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「epigenetics(仮タイトル)」 1

195×年。

長く続いた戦争が終わった。

その年についての記憶らしい記憶は、ただ一つ。

女性の唇。その柔らかな感触。

12歳。

なにもかも夢中にぼやけてしまいそうな、蒸し暑い、ありふれた夏の日だった。




196×年。

俺は二十歳になった。

高校卒業と同時に、当たり前のように徴兵検査を受け、当然のように陸軍の部隊に配属され、二年間なんとなく訓練をこなし、そして特に何事もなく故郷の町に帰ってきた。

かといって、特にやりたいこともなく、父のつてを頼りにありついた、ビアホールの住み込みウェイターのバイトで食いつなぎ、半年が経った。

進学してはどうか、という話もある。

昔、父に世話になったという、俺の雇い主でもある、マスターの靖さんが後見人になってくれるという。

だけど俺には、特に勉強したいという意欲はなく、その話を靖さんに持ち出されるたび、考えときます、などと場当たりな言葉をのたくっては逃げていた。

仕事がある日は、朝早く目覚め(兵役時代に叩き込まれた早起きの癖だ)、朝のニュース番組を眺めながら朝飯を食べ、タバコをふかし、開店の準備をし、ランチタイムのクソ忙しい時間帯をしのぎ、昼飯を食べ、タバコをふかし、なんとなく手持ち無沙汰な午後を過ごし、晩飯を食べ、タバコをふかし、仕事帰りのサラリーマンたちのためあくせくと立ち働き、閉店時間を過ぎてもだらだらと居残っている数人の客を尻目に店の片づけをし、タバコをふかし、くだらないテレビを見て時間を潰し、一章ほど本を読んで床に就く。

休日も、さして彩り豊か、というわけではない。

やはり朝早く目覚め、朝飯までの時間を二度寝で潰す。朝飯を食べた後は、また寝るか、さもなければ、バッティングセンターでだらだらするか、海沿いをぶらぶらするかで時間を潰し、晩飯食って寝るだけ。

時々、仁科や律が遊びに来ることもある。

仁科とは兵役時代に知り合った。兵役時代の友人らしい友人といえば、仁科くらいだった。

仁科は退役後、隣町の大学に進学して、電気工学を学んでいる。

ただ、別にこれといった夢やら目標やらを持って入学したわけではなく、軍から支給される奨学金目当てという、あまり褒められたもんじゃない理由からだった。

卒業後は、半強制的に軍需関連の職業に就かされることになるらしい。

仁科は電話で断りもいれずに、気まぐれにやってくる。

「ビール飲みたくなったんだよ。別、いいじゃん」と言って、店員の知り合いであることをいいことに、安く振舞ってもらえる酒をガバガバ飲んで、仕事中の俺をいちいち捕まえてはくだらないことをだべり、閉店後は俺の部屋に上がりこんで、ベロンベロンになってひっくりかえって大いびきをかくまで、俺相手にひたすら飲みまくりしゃべりまくる。

翌日には、殴りたくなるくらい爽やかな笑顔で去っていく。

そういうやつだった。

律とは高校時代からの腐れ縁で、彼女かと問われれば、そうと言えなくもない関係だった。

律は、いまだ女子には門戸の狭い、難関の国立大に合格し、町では才女として、ちょっとした有名人である。

容姿のほうは、髪形がおかっぱに近いショートであるせいか、全体的な印象にやや幼さが残るものの、ぽってりと柔らかそうな唇、通った鼻筋、ぱっちりとした二重瞼。本人は、少し団子っ鼻であることを気にしているが、十分可愛い方に入るだろう。

国立大には電車で通っており、そのための定期がきく範囲内に、俺が住んでいるビアホールがあるため、会うための交通手段には不自由しない。

そのためか、暇を見つけてはちょくちょくやってくる。

しかし、楽しくいちゃいちゃしながら時間を過ごせるならいいのだが、真に遺憾ながら、律は俺の部屋に上がりこんでは、「汚い。臭い。最低。掃除するから出ていって」と俺をゴミ扱いする。

いつもこんな調子だから、時々、「お前、俺の嫁にならねぇ?」と茶化すと、「馬鹿言ってないでそこどいて」と返される。

ただ、根が素直な性格なので、頬に少し赤みが差す。

そういう時、やっぱこいつ可愛いやつだ、と改めて思う。

こんな風にして、俺の日常は半年間、無為に過ぎていった。

お決まりのコースに飛んでくるボールを、ただひたすらあてずっぽうに打ち返す。

そんな毎日だった。



その日は、朝からずっと雨が続いていた。

雨の日は客の入りが悪く、ランチタイムが過ぎた今、暇を持て余した数人の常連の爺婆が、靖さん相手に、セピア色にくすんだ昔話に、萎れた花を咲かせるのが常だった。

俺は外階段の踊り場に設置されている、気の毒なくらいささやかな喫煙所で、タバコを吸っていた。

雨は間断なく降り続け、眼下のトタン屋根を、カンカンと音高く打ち続けていた。

半年前、この踊り場から見えた風景は、右半分が綺麗に吹き飛ばされた家だった。残った左半分から察するに、わりと洒落た、昔風の洋館だったらしい。

厨房の仕事がひと段落付いて、この喫煙所で一服つけていた志津絵さんに、その家について聞かされたことがある。

「あそこの家にはね、一組の若い夫婦が住んでいたんだよ。

もともとは退役軍人の老夫婦の家だったけど、田舎に引っ越すことになって、それで知り合いだったその夫婦に、安く家を譲ったらしい。

大陸での兵役を終えたばかりの靖さんとここに店を構えて、ようやく経営が落ち着いてきた頃、その夫婦はやってきた。

二人してうちに挨拶に来たときのことは、今でもよく憶えてるよ。

夫は、体の線が少し細いけど、顔が凛々しく引き締まった将校。

妻は、西洋人みたいにすらりと背が高くて、長くて豊かな黒髪を持ち、そして女の私がどきっとしてしまうくらい、美しい顔立ちをしていた。

似合いの夫婦ってのは、こういうことなんだろな、ってつくづく思ったよ。

だけどそれからほどなくして、都市にある軍司令部を標的とした大空襲がおきた。

そのとばっちりをうけて、この町にも少なくない数の爆弾が落とされた。

そのうちの一つが、あの家のそばに落ちた。

その結果、家の右半分があんなふうに吹き飛ばされちまった。

幸い、その家からは死体は出てこなかった。

だけど、それ以来、そこに住んでいたはずの夫婦の消息は途切れてしまった。

元々近所付き合いのない夫婦だったけど、引っ越したならその噂くらいは聞くようなもんじゃない。

けど、それも一切なし。

旦那の仕事の都合で、こっそりこの家を去ったんじゃないか、ってのが一応の結論だけどさ」

志津絵さんはそこで言葉をきり、短くなったタバコを大きく吸い込み、煙をゆっくりと吐き出した。

「不思議な夫婦だったよ。

うちに引越しの挨拶にきた時、ちょっと言葉を交わしただけなのに、なぜか二人が深く愛し合っているってことがとてもよくわかった。

そして、その事実だけを私の中に残して、どこかへいっちまった」

志津絵さんは、タバコを灰皿でもみ消した。

「ほんと、不思議な夫婦だったよ」



だが、半年の間に、その家は重機に押し潰されてしまい、跡地には、「私有地につき立ち入り禁止」と赤く書き殴られた看板が掲げられた。

軽くため息をついた。

「なに一人たそがれてんの?」

後ろから声がしたので振り向くと、従業員の住み込み部屋へと続く4階のドアを背に、紗智子ちゃんが立っていた。

「学校は?」俺はそう尋ねた。

「明日終戦記念日だから、授業は午前までだって」

「そっか」

「店の方はどう?」

俺は軽く肩をすくめてみせた。

「でしょうね」と、紗智子ちゃんは軽くため息をついた。

雨はしとしとと陰湿に降り続いていた。

「朝からずっとこんなんじゃあねぇ」

紗智子ちゃんは、階段を一段一段、その強度を確かめるようにゆっくりと下りてきて、ベンチに座っている俺の隣に腰掛けた。

紗智子ちゃんは、顔をぐっと俺のほうに近づけると、「ねぇ、なに考えてたの?」と言って、にっと笑った。

前歯が少し大きいけど、白くて綺麗な歯並びをしていた。

「別に何も」

「嘘」

「じゃあ混迷を極める大陸内戦の現況について」

「嘘」

「じゃないかもしれんぞ」

「嘘だよ」

「どうして」

「だって一樹さん、馬鹿だもん」

「調子乗んな」軽く小突いてやった。

おさげの髪からは、少女らしい健康な、どことなく甘ったるい匂いがした。

「いた―いひどーいさいてーあやまれー」

「断る」

「母さんに言いつけてやろ」

「ごめんなさい紗智子様」

きゃはは、とひとしきり黄色い声で笑うと、

「本当は何を考えてたの?」と、無邪気な、悪戯めいた笑顔で、聞いてきた。

「別に、なにも」

タバコの先に溜まった灰が、自らの重みに耐えかね、足元へと落ちた。



「おう一樹、戻ったか」

ホールに戻ると、靖さんからそう声を掛けられた。

カウンターに近い席に固まるように、お年寄りグループがいる以外は、窓際に、外回り中のサラリーマンらしき男が2人と、白いワンピース姿の女性がいるだけだった。

「どうします?ホール暇なら、厨房のほうの仕込み、手伝ってきましょうか?」

俺がそう聞くと、靖さんはいわくありげにほくそえんだ。

「そんな暇で暇でしょうがない一樹君に朗報だ」

「なんすか?」

「お前に女性の訪問者だ。それも、かなり美人の」

「え、どこすか?」

靖さんは、腕を組んだまま、窓際のワンピースの女性に向かって、顎をしゃくった。

「ここに尾上一樹という方は勤めていらっしゃいますか、って聞かれてね。お前の高校時代の教師だそうだ」

ふいに、心臓が違う脈を打った。

「特に用はないそうだが、お前の顔が見たくなったんだとよ。いいねぇ、見れた顔しているやつは」

―どうして今。

「仕事のことはいいから、ゆっくり話してこいよ、どうせ暇だしな」

―あなたがここに?

話し声が聞こえたのだろうか。その女性はこちらを振り向いた。

長い髪。少し汗ばんだ白い額。細く整った眉。やや切れ長の二重瞼。薄く茶色がかった瞳。左目の下に泣きぼくろ。

―柔らかな唇。


「一樹くん」


幸江さんは、そこにいた。

僕の初恋の人は、そこにいた。


なにもかも美しいまま、そこにいた。


耳朶にまとわりついていた、静かな雨音が止んだ。

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